分類という思想を読んだ。

パターン認識とか呼ばれる分野の研究では、ある未知のものを、あらかじめ定めたいくつかのクラスに、自動で、いかに精度よく分類するか。というのを研究してます(たぶん)。そのような研究をする上で、そもそもクラスをどう設計するかという問題があるのですが、そこを深く考えたことがなかったので、分類学の本に手を出し始めました。

分類という思想 (新潮選書)

分類という思想 (新潮選書)


ということで、まず読んだのがこの本。
生物や植物の分類方法の歴史とか、構造主義について述べられてます。

読んだ感想としては、パターン認識の研究をかじっていたためか、この本で最終的に主張したいことは当然のように感じてしまい、若干面白みに欠けた印象。
例えば、まとめに書かれていた一文とか。

私が依拠する立場は極めて単純だ。分類はいずれにせよ、人間が行う営為のひとつである、ということだ。すなわち、すべての分類は人為分類である。従って、すべての分類は本来的に憑依的なものである。

つまり、目的に合わせて分類や分類基準を考えないといけないわけで。何でもかんでも階層的クラスタリングしときゃオッケー!みたいなことは思っちゃいけないわけで。ある程度、精密な分類基準が欲しければ、ちゃんと手作業で分析して分類基準を求める作業が必要になるわけで。。。。ってこと?
てなことを考えながら読んでました。まぁ当たり前のことですね。

生物分類学は、なにか一つの分類基準があるのかと思ってたんですけども、実際は色々基準があって、パターン認識とかと同様の問題意識があるということを知れたというのは良かったです。